さらしぼ日記

さらっと死亡

地球温暖化とフェーン現象

夏が近づき暑さが増してくると、活躍するのはやはり扇風機である。
この扇風機、実は発明されたのは19世紀後半で、羽を回して風を起こすという構造は現在と全く同じであったことをご存知だろうか?知らなかった方は、ちゃんと知りなさい。


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(初期の扇風機)



さて、現代では様々な機能が付いている扇風機であるが、中でも一番優秀なのは「首振り機能」である。もちろん、タイマーやリズムなど、他にも便利な機能は多く存在するのだが、やはり首振り機能を超えるものは無いだろう。本来、一方向にしか風を送れない、いわば「便利なうちわ」であった扇風機が、首振り機能によって複数人が風を𝐒𝐡𝐚𝐫𝐞出来るようになったのである。
こうして、無事世界には平和がもたらされたように思えた。しかしながら、現実はそう甘くないということを、扇風機は教えてくれる。


扇風機の風を𝐒𝐡𝐚𝐫𝐞するということは、すなわち自分が享受するはずの風を犠牲にして、他者に分け与えることに他ならない行為である。
故に、簡単に扇風機の首を振らせているように見えて、実はそこには深刻な利害問題が生じていることがわかる。


もっとも、人間的な理想として掲げられる理念の1つとして「分け与える心」がある。
人は何かを分け与えると称賛し、逆に何かを独占すると批判する。私はこのような人間の勝手な美学が大嫌いなのだが、どうも最近はこの美学が、「半ば強制されている」ように思えてならない。
電車で高齢者に席を譲らなければならない雰囲気、バスで高齢者に席を譲らなければならない雰囲気、モノレールで高齢者に席を譲らなければならない雰囲気など、とにかく現代社会は窮屈になりつつある。





性悪説


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教養のある皆には釈迦に説法かもしれないが、性悪説とは、人は生まれながらにして悪であるという考え方である。この考えの元では、人の善意というものは全て偽善であり、善人など存在する余地はない。
ところが、社会では人の善意こそが素晴らしいとされているのが現状である。喩えるなら、飛べるダチョウに価値を見出そうとしているようなものだろうか。ダチョウが飛べないのと同じように、人間は本物の善意をもってして他者と接することなど不可能なのである。
つまり、悪を否定するということ自体が、人間の「人間らしさ」そのものを否定しているに他ならないのである。


こういう話をすると、性善説を持ち出してくる者も一定数出てくるのだが、正直ナンセンスという他ない。
もとより人間が善であるなら、我々はこんなにも多くの法で縛られる必要はないし、人は家に鍵などかけない。
とりわけ、世界の中でも日本人というのは、一般的信頼が非常に低い。一般的信頼とは、簡単に言ってしまえば「初対面の相手をどれほど信頼するか」の指標である。
そして、一般的信頼が高い国ほど経済が発展しやすいとされている。
これを言うと大抵の日本人は驚くのだが、日本人の一般的信頼は、発展途上国並みに低い
一方で、日本の経済は世界的に見れば高い水準にあるから、日本はいわば例外なのである。
では、なぜ日本はこの例外になり得たのか。
その理由の1つは、狭いコミュニティを形成してきたことにある。
その集団の中で人々は情報交換をするが、もし誰かが不正を行った場合、その事実はすぐさま集団の中で共有され、不正を行った者は村八分にされてしまう。したがって、不正を行うことで得られる利益より、村八分にされることによる不利益の方が多くなるため、人は合理的判断の元、不正という選択肢を(仕方なく)除外する。
現代においても、例えばメルカリやヤフオクなどの本人評価システムがこれに当たるだろうか。適当なことをすると自分の評価が下がるため、見知らぬ他人に対してもきちんと対応せざるを得ない。この事は出品する側も購入する側も理解しており、したがって双方は安心して取引を行うことが出来る。
メルカリに限った話ではないが、このような取引における円滑さを促しているのは「安心」であり、決して「信頼」ではないことに注意してほしい。取引を行う者は皆、不正をする事によって"評判が下がる"、"評判が下がることで取引先が減る"などの長期的な不利益が生じることを知っているから、相手は不正を行わないだろうと確信し、「安心」して取引ができるのである。





本物の善意


ここまで、人の善意を全力で否定してきたわけだが、敢えて読者諸君に問いたい。

我々が本物の善意を手に入れることは不可能なのだろうか?






















答えはである。









人類が本物の善意を手に入れる為だけに開発した𝐋𝐚𝐬𝐭 𝐑𝐞𝐬𝐨𝐫𝐭









人類の叡智、エアコンである。















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振る首など存在しない。振る必要すら無いのである。
発展途上国では未だに紛争や悪意による軽犯罪が横行しているが、これは発展途上国エアコンが無いからである。



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(警視庁 「犯罪情勢の推移と刑事警察の50年」より)


上のグラフを見れば一目瞭然だが、日本における犯罪の件数は昔と比べると減少している。表向きには「法制度の充実」や「経済水準の向上」が理由とされているが、そんなものはエアコンの前ではカスも同然である。エアコンの普及がさらに進めば、いつか犯罪が0になる日も訪れるだろう。
また、エアコンを付けて寝ると風邪をひくと言われたりするが、これは馬鹿は風邪をひかないという概念を逆手にとり、エアコンが我々の知能向上に一役買ってると言っているのである。発展途上国識字率が低いのも納得がいくだろうか。


こうして我々は、今日もエアコンによってもたらされた平穏の下、Music FMで音楽を楽しむのであった。