さらしぼ日記

さらっと死亡

生理学入門

(トイレ行きたくなってきたな〜)

車内アナウンス「次の新宿まで、止まりません」

(ぶちぶち〜じょぼぼぼ〜)




人はトイレへのアクセスを絶たれた時、急激に「催し度」が高まる。
通常、自分の家にいる時、近くにトイレがある時などは、そもそも催す頻度が低かったり、多少催しても我慢出来たりするものである。
他方、通勤電車の中、バスの中など、トイレへのアクセスが絶たれた場合において、急に催したりするものだ。そういう場合は大抵、電車やバスを降りてトイレに辿り着く頃には催し度は下がっていて、(あれ?私の催しは何処へ?)と困惑するものである。

今回のメインテーマは、あなたが多少の尿意や便意を催した際、溜まっているものの量が同じであっても、おかれた状況によって催し度が大きく変化する事であり、それに関して理解を深めていけたらいいと思う。
ちなみに、筆者はアイドルなので、トイレには行かない。



1.
催し度に変化を与える状況の分類


先程も述べた通り、自分の家と通勤電車の中とでは、全く精神的状況が異なるわけであるが、これについてより具体的に分類していきたい。



第1段階は、心に安らぎとトイレに行こうと思えばいつでも行けるという確固たる自信がある場合。(ここで言う安らぎとは、布団に入った時のような身体的安らぎではなく、便器があたかも両手を広げてあなたを受け入れてくれるかのような、精神的安らぎを指す。)
例えば、自分の家。基本的に行こうと思えばいつでも行ける。たとえ家族がいたとしても、トイレでスマホをいじるガイジファミリーでなければほぼ差し支えが無いと言っていいだろう。


第2段階は、トイレが近くにあるが、必ずしも空いているとは限らない場合。これはコンビニや飲食店にいる場合などが該当するが、第1段階との差はあまり無いように思える。


第3段階は、トイレに行こうと思えば行けるが、場所が遠い場合である。例えば街中で少し歩くとコンビニがある場合、その地の公衆トイレの場所を把握してる場合、各駅停車の電車に乗っている場合などが該当する。この場合、第2段階とは話が変わってくるのでは無いだろうか。ちょっと催した時、(いや〜このくらい我慢出来るかなぁ)と思って歩みを進めると、案外催し度が強くなってくるものである。ただし実際には、少し我慢して目的地にあるトイレを目指しても、途中で堤防の決壊に至ることは稀であろう。というかそんな簡単に漏らされたらお漏らしの価値が下がるからやめろ。


第4段階は、トイレへのアクセスが比較的悪い場合である。周りにコンビニが無い場合、通勤電車やバス、車の中などのトイレから物理的に遠い所にいる場合が該当する。ここに来てようやく漏らす人がちらほら出てくるのでは無いだろうか。とはいえ大抵の場合は我慢出来るのだろうが、催し度の変化は急激になりがちであるのは事実である。腹痛など来ようものなら最後、社会的な死を覚悟するべきと言ってもいいだろう。ばいばい。


第5段階は、トイレへのアクセスが非常に悪い場合である。コミケの待機列、エレベーターに閉じ込められた場合、交通渋滞で車が動かない場合などが該当する。そもそもこんな状況には出くわしたくないものだが、この状況下で(トイレに行きたくなったりしないかな...)と心配したが最後、あなたの頭の中はトイレの事でいっぱいになり、勝手に催して、勝手に催し度が上昇し、漏らすことになるだろう。腹痛なんて来ようものなら、我慢することを諦めて笑顔で放出してしまうかもしれない。




資料:FIVE LEVEL OF MOYOSY(2003年発表)

(参考文献:オッスクフォード大学 生理学研究所)



以上大きく5段階に分けてみたが、まずはあなたの日常生活を想起し、想起した各状況がこの5段階のいずれかに必ず当てはまることを確認して欲しい。

それはすなわち、日常生活において、(意識していないかもしれないが)あなたが心理的状況の影響下に置かれ、恒常的にトイレに行きたくなったり行きたくなくなったりしていて、その加速度も常に変化しているということである。



2.
ここまでで状況による催し度の変化についての理解は深まっただろうが、それが具体的にどう作用するのか見ていきたい。

先程も述べたように、溜まっているものの量が同じであっても、おかれた状況によって催し度が大きく変化するのである。
トイレに行かない私からすれば、第1段階にいる人間も第5段階にいる人間も、実際溜まっているものは同じなのだから、第5段階にいる人間も理論上は我慢出来るようにも思える。
けれども、どうやら人間の焦りの感情が事をそう上手くいかせないらしい。

あなたが家でくつろいでいるところに、“トイレでスマホいじり星人”(以下、ゴミ)が参上して、自宅のトイレを占拠し始めたら、あなたの精神的状況は第4段階あたりまで跳ね上がるだろう。
一方であなたがゴミの存在に気付かなければ、状況は第1段階のままである。
故に、精神的段階というのはあくまで本人の意識、つまりはトイレに行けないという焦りに依存することは理解出来るだろう。第1段階から第4段階に跳ね上がるのは、ゴミが参上する瞬間というよりは、あくまであなたがゴミに気付いた瞬間というわけだ。





3.
それはさておき、近年になって地球温暖化が急速に進み始めた。海面は上昇し、オホンゾールの破壊も進む一方である。そんな数々の問題を抱えている我々が、のんきにお漏らしの話なんか読んでる暇なんか無いだろ。私はそういう現代人の呑気さがあまり好きではない。
話を戻すが、近年の異常気象を地球温暖化の一言で済ませるのは問題がある。そもそもこの地球は、人類が存在する遥か昔から続く長い歴史の中で、温度が上がったり下がったりを繰り返してる。そんな温度変化の中で、たまたま今が温度が上昇してる時期であるとしたらどうだろうか。地球温暖化と騒ぐ民衆がアホみたいに見えてくるだろう。地球が少し尿意を催しただけで、「さっきまで催してなかったのに!精神的な負荷がかかっているに違いない!」と叫んでいるようなものだろうか。これにはさすがの地球も(いやさっきちょっと魔剤飲みすぎただけや...)と苦笑い。
とは言え、人類が環境を破壊しているのも事実であるから、環境保護は大切だろう。そして、環境破壊に負けることなく回り続ける地球も偉大であるから、もっと褒め称えた方がいいだろう。最強。天才。陽キャ。学科試験一発合格。母ちゃんがでべそでは無い。
















4.結論

おむつはけ