さらしぼ日記

さらっと死亡

不合格体験記

目次

1.不合格体験記を書くにあたって

2.不合格への歩み

3.何か言いたそうな様子でこちらを見つめている

4.PDCAのC

5.最後に

 

1.不合格体験記を書くにあたって

 世間一般に合格体験記は往々にして見受けられる一方で不合格体験記はなかなか見受けられない。世間的には合格体験記に限らず成功者の格言、伝記は価値のあるものだと評価される傾向にあるようだが、失敗した者の意見はどうやら人気がない。失敗談から得られるものは少ないと思われているのだろうか。しかし大抵ダメな人間は、成功者に憧れ真似をしようとするも失敗し、次からは同じ過ちを犯すまいと学習し賢くなったつもりになる、いわば「愚」そのものである。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」(ビスマルク)

 痛い目を見ないとわからないのは愚者であり、歴史(他人の失敗)を学ぶことで自分の失敗を回避するのが賢者である。このビスマルクの言葉を私なりに解釈するなら、「賢者は成功者を参考に道路を敷き、失敗者を参考にハンドルをきる」といったところだろうか。今回の場合で言えば、合格体験記を参考に今後の勉強の方針を固め、実行に移した後は不合格体験記を参考に過ちを回避すれば良い、これが合格への近道であろう。

この時点で不合格体験記が合格体験記と同等の存在意義を有する事は自明である。

 

2.不合格への歩み

 自分で言うのもなんだが、昔はそれなりに勉強ができた。中学の頃は9割は安定して取っていたし、早慶対策をしていた事もあって高校入学時の実力テストでは学年320人中英語4位、数学10位と最高のスタートをキメていた。ここで調子に乗った訳では無いが、順当に行けば東北は余裕だと思った。予め言っておくが、自分ができると思う事は悪いことでは無いと思っていて、それが自信に繋がればモチベ維持にもなるし、自分はどうせ出来ないと思った時点で終わりだと思う。自分が出来るから努力しなくてもいいと思うのは論外、ソースは私。そんなこんなで人一倍努力を怠った私は、あろうことか全く成績が下がらなかった。は?と思ったかもしれないが、7月,11月の進研模試では数学校内2位をとり全国偏差値は70後半〜80をキープしていた。定期考査はクラスの前列6人と仲が良く毎回競っていたが、その中でも特に努力家で東大志望のK君に勉強せずに毎回勝っていたのは私を調子に乗らせるには十分すぎた。そんな私だが、いつまでも勉強せずに成績が落ちなかった訳では無い。私は2年次以降の理系選抜クラスに入るために評定には気を配っており、生活態度もそれなりに気を使っていた。境は理系選抜クラスに受かった時である。おそらくあの瞬間から評定を全く気にしなくなった。2年になる前の春休みはモンスターハンターXXを買い、飯風呂睡眠以外は友人3人と永遠にインターネット上でモンスターを討伐していた。課題を初めて開いたのは春休み最終日だった。提出に間に合ったのは数学だけで、それ以外は後で提出しますと言って結局提出しなかった。その後も課題は数学しか真面目にこなさなくなり、成績はぐんぐん下がっていった。特に2年から始まった物理、化学、地理は壊滅的である。授業中も前の席でありながら寝てばかりで救いようがない。

 ここで塾に行っていればまだ救いようがあったが、私が選んだのは映像授業の某予備校であり、時間が決まっていなければ教師と話せる訳でもない。ここもかなり選択ミスで、よほど勉強熱心でない限り普通の学習塾をオススメする。重要なのは自分で塾に行く意志ではなく、塾に行かなくてはいけないという義務感である。やる気が無ければ伸びないと言うが、塾に行かないのは論外。そして塾に行きさえすれば大抵周りの刺激を受けてやらなければと思えるので結果オーライ。勉強熱心な人は映像授業でも独学でもお好きなように。

 話を戻すが、2年次に勉強しなくなったもう一つの原因は学校の某部室である。あろうことかその部室は新興国に劣らない発展を遂げており、その1年間は学校を出るのが21時は当たり前、休日もソコに集まり活動を続け、勉強を怠った。2年次が終わる頃には学年順位は半分を下回っていた。

 ここから得られる教訓は、誘惑をいかに断ち切れるかである。人間というのは基本的に自分に甘い。そのくせして本気を出せば欲を抑えられると本気で思い込んでいる。無理である。本気で(本気でなくとも)勉強したいと思っているなら、過度な誘惑は断ち切り、強制的に自分が勉強せざるを得ない「環境」を創り出す以外に手はない。先も述べた通り、重要なのは義務感である。周りの環境によって勉強させられるのである。それでも人間は不思議なもので、5分机に向かえば案外捗ったりするものである。もちろんそんな義務感無しでも机に向かえるならどんどん向かってたくさん勉強して欲しいし、合格体験記を参考に効率のいい勉強法を見出していって欲しい。余談だが、こう見えて高校受験期は1日10時間は軽く勉強していた。平日は学校が終わるとすぐ塾に行って自習し、休日は塾で10時から22時まで勉強した。逆に塾以外では全く勉強しなかった、というか性格上出来なかった。それでも勉強時間は自分の自信となり武器となったし、結果的に高校入学時の好スタートにも繋がった。重要なのは「環境」である。

 時は3年次、私は文化祭の実行委員長を務めており、勉強よりも文化祭に力を入れた。勉強しなかった原因を文化祭にするつもりは無いが、文化祭一週間前の1学期中間考査は壊滅的だった。特にこの時、化学は無機化学が範囲であり、この時何かしら無機化学の知識をつけようと努力しなかったのは受験最大の失敗である。

 夏休み、私はようやく塾に籠り始め、化学を中心に今までの復習を始めた。1日10時間を目安に勉強した。だが途中で気づいた。穴が多すぎる。これまでの定期考査で一回知識を入れておけば、最悪忘れても3年の夏休みで知識の再確認→定着に持っていけるが、知識がない場合はまさに絶望そのものである。化学中心の話にはなってしまうが、問題集の問題を一通り解き、無機化学を一通り暗記した私は完全勝利だと思っていた。向かえた9月、化学のテストは全く解けなかった。初めて得た知識が復習無しで定着するはずがない。そんな単純な事がわからなかった訳ではなかったが、夏休み40日間といえ時間が無かったというのが1つ、加えて勉強してから一週間ほど知識を記憶しているが故に復習を怠ったのが致命的であった。結局、夏休み中1日5時間は割いた化学の勉強は水の泡となり、センター試験本番では29点とかいうおもしろスコアを叩き出してしまった。この話は後でする。結局伝えたいのは、復習をしろというのはもちろんだが、自分を過信しすぎるなという事である。人間の脳は都合の良いようにしか事物を解釈しないので、自分は理解しきっていないのではないか?本当に覚えてるか?試験本番でその式が導けるのか?と自分を常に疑って欲しい。本当にわかっていたなら何回も解くのは効率が悪いかもしれないが、わかったつもりになっている方がもっと恐ろしい。範囲外のことは試験に出ない以上、範囲内の何を出されても文句は言えないので苦手があることは致命的である。時間をかけて早く潰せ。

 3年2学期、定期考査の勉強をそこそこした甲斐もあり、現役生が苦手と言われる教科書の最後の方の分野が人並みには出来るようになったが、受験勉強自体はよく進んだとは言えない。というのも、本来なら10月には赤本に触れるべきであるが、既習範囲が固まっていなかった私は過去問を解くのは既習範囲が固まってからと後回しにしていた。これがまた失敗で、受験校の傾向を知った上で今後の勉強の方針を立てるためににも過去問には触れた方が良い。また赤本を買って、新しい年度の問題は後にとっておく勢が見受けられがちだが、それは傾向を掴むのを後回しにしている故に何の意味もないので、出来るだけ早めに手をつけるべきである。

 2学期終盤、期末考査も終わり二次演習もストップしセンター対策にシフトする時期だが、課題として出ていたセンター化学とセンター物理の問題集を全くやっていなかった。マジで救いようねえなこいつ。今思えば、2年で評定を気にしなくなり、課題を提出しなくなってから勉強しない習慣が続いたせいで、平日に4-5時間勉強すれば良い方だろうと思い込んでいた節があった。そのクソぬるいノルマを達成し達成感に浸った私はゲーセンを経由してお家に帰った。今のところゲーセンに行ったことは失敗だったとは思ってないが、勉強時間が少なかったのは大問題である。そもそもこの時期詰め込もうとしているのが失敗で、本当はもっと早くから勉強していて試験前は知識の確認程度が理想の受験生なのかもしれない。

 冬休み明け、今までサボっていたセンター化学の問題集を一周し、駿台のパックVでも7割を取れるところまで持っていく事に成功し、あとは国語と英語が何とかなればというところまで来た。しかしあろうことか英語も国語も授業のセンター演習で毎回爆睡をかまし、結局センター本番直前に自分の勉強時間を使って演習する羽目になった。古文単語は本番3日前から始めて間に合ったからマドンナ古文単語に圧倒的感謝。こんな感じであっという間に時間が過ぎ、気づいた時にはセンター試験本番だった。本当にあっという間だった。

 センター本番、特に書くことはないが、休み時間は大抵談笑していた。ただ本当に疲れるから二度と受けたくない。

 翌日、心の底から学校に行きたくなかった。というのも、センター2日目夜に恐る恐る自己採点をして全てを悟り、早くお寺に出家したかったからである。親にも点数を教えなかった、それだけ悲惨だった。他の人の言う「爆死」とは訳が違うし、二次試験を受けるのを辞めようとすら思った。そんな私だが、学校に行くと(程度は違えど)同じような境遇にある仲間がいて、私に北大を勧めてきた仲間がいた。受験は団体戦の真意を理解した気がした。ここから北大逆転合格を狙う日々が始まる。

 はずだった。数学は数Ⅲの記憶を取り戻すために10日間完成シリーズの複素数平面と微積を購入した。しかし他の教科との兼ね合いもあり、結局終わったのはそれぞれ7日分ほどであり、特編授業の内職で何とか進めた程度だった。放課後はどこかに集まり、おしゃべりを交えつつ過去問を解くなどした。結局この時期になっても勉強時間が増えることは無かったのだ。私は以前まで試験が近づいたら本気で勉強し始めるだろうと思っていたが、ここにきて甘さを痛感した。人間そう簡単には変われない。勉強する習慣をつけろと中学の頃の塾の恩師に言われたが、その意味がようやく理解できた瞬間である。

 二次試験一週間前、この世の全てを悟った私は英語と物理と化学を捨て、数学のみで戦うことを決意した。その決意が消えないうちに北大の理系数学15カ年を購入し、1日10問ペースで進めた。科目を絞ると精神が安定することに気がついたが、受験科目が減るわけではないので絶望である。気づけば新千歳空港に着いていた。

 「What’s the purpose of your visit?」「 sightseeing.」

 札幌行きの道中で一面が雪景色だったり家に煙突がついてたりなど印象的なことが多いが、札幌に着いて初めて北海道の怖さを知る。普段通りの格好で札幌に着いた愚かな私は寒さに恐怖し、ホテルにチェックインを済ませるとすぐに評判の良いみそらーめんのお店に行った。美味しかった。帰りはすすきのに寄り、ラウンドワンで22時まで音ゲをした。全一の人がいたのは驚いた。楽しそうだなこいつ。

 結局2日目も北大の下見をしたりジンギスカンを食べたりして勉強は物理の公式を1時間ほど復習して早寝で試験に備えた。こうして第一次受験戦争はボロ負けで幕を閉じたのである。(あとがき)序盤は教訓をメインに出来るだけためになるよう書いていたが、3年2学期辺りからこんなゴミみたいに勉強しない奴いないだろと思い、以降ただの思い出振り返りになった。あなたがこれを許せる広い心の持ち主であれば、きっと学業でも成功するだろう。

 

3.何か言いたそうな様子でこちらを見つめている

 冬休み明けにセンター化学の問題集を一周したという記述がありながら、なぜかセンター化学の点数がバグっている、そう思えたあなたは相当感が鋭い。数学の捨て問とかしっかり見抜けそう。そう、私はあろうことか夏休みの後悔を入試に活かせなかったのである。やったすぐ後は問題が解けるが、復習しないと数週間で記憶が抜ける。あれだけ後悔しておきながら同じ過ちを繰り返すとは何事か。愚者は経験から学ぶのではなかったのか。

 

4.PDCAのC

  まとめよう。

1.勉強せざるを得ない環境を作れ

2.常に自分を疑え

3.受験の宿は早めに予約しろまじで

 

5.最後に

 将来の自分は他人なのでは?と考えたことはあるだろうか。将来の自分のためにも頑張れと言われてもイマイチやる気が起きないのはこのせいである。もちろんやる気が起きれば良いが、起きないなら現状として今は勉強をしなければいけないという義務感に追われ続ければそれで良い。いくら自分が苦労しようが悩もうが、将来の自分が他人であるように過去の自分も他人であるのだから、きっと将来の自分はそれらを思い出したりはしない。つまり今苦労することで、将来の自分は苦労せずに幸せになれるのである。何を言っているかわからないが、今から頑張るしかないということだ。

最後に、5500字の駄文に付き合ってくれてありがとう。私の不合格が皆さんの合格につながる事を願い不合格体験記とします。