さらしぼ日記

さらっと死亡

電気泥棒は放火魔の夢を見るか

世間ではごく当たり前のことだが、高等学校のコンセントを使ってスマートフォンを充電したり、Wi-Fiを飛ばすことはいけないこととされている。また、セラミックヒーターやIHを使うと、危ない。
もし部屋が臭くなったら、それはコンセントの無断使用による発火が原因で、これが他の部室にバレようものなら、すぐさま家電は没収されてしまうだろう。



それを阻止する、唯一にして絶対的な対策は、消臭ビーズで消臭することである。
だが仮にそれを設置したとして、非常識な市民によって投げて遊ばれる未来は避けて通れはしない。




この大きな壁は、到底乗り越えられないもののように思える。
ところが、人類とは偉大なもので、長い歴史の中でどんな壁をも乗り超えてきたのである。
人類の叡智は遂に、液体消臭剤に到達したのだ。
かの有名な詩人である高田敏子の詩『水のこころ』にもあるように、水は掴めないのである。掴めないものを投げようも無いだろう。
人はこれを“第一次消臭革命”と呼んだ。実に安直な名前である。ちなみに第二次は起こらない。

ところが、液体消臭剤、これが市場に出回ると、あろうことか非常識な者たちは、この液体消臭剤を溢してしまったのだ。多くの研究者の長年の苦労は、非常識な者たちによって一瞬で打ち砕かれたわけである。





これを理不尽だと思うだろうか。
結局のところ、万物において完全体は存在しないのである。完全無敵の矛と盾はいつになっても完成しない。


言うまでも無いが、人間は愚かである。
愚かな人間は、自分の非を認めない点で愚かである。
反省しない点で愚かである。
そしてその愚かさは、未完成のそれに価値を見いだし始めた。ミロのヴィーナスなどがいい例だろうか。





これに腕を付けたコラ画像を作ってやろうと思ったが、面倒なので、やだ。
とにかく、人間は“不完全”に対して、このように折り合いを付けてきた。付けざるを得ない、と言った方が正確だろうか。
完全を求める一方で、完全な物を作ることは不可能。
この矛盾を解消するために人は、“不完全なもの”を“完全なもの”として完成させたのであった(以下、これを“偽完全体”と呼ぶことにする)。
そういう意味で、むしろ人間の愚かさは必然であるようにも思える。
愚かさを捨てるということは、すなわち完全を追い求めること、それ自体を捨てるに等しいからである。

その点で、液体消臭剤は“偽完全体”である。
非常識な市民によって溢されるという欠陥を孕みながら、消臭剤としての終着点、つまりは完全体と見なされたのである。





















ここまでが、20世紀までの話である。






それでは、21世紀では消臭剤がどうなったのだろうか。
そもそも完全体として終結したのであるから、発展のしようが無いのではないか。
確かにその通りである。
消臭剤は液体消臭剤で完結した。
それが最終話なのだ。


ところが、人類の叡智は消臭剤とは別の、アナザーストーリーを綴り始めた。

消臭剤2期決定!
といったところだろうか。
1話だけ観て2話以降切ってしまいそうなタイトルである。


























それが、臭豆腐である______________





くさややシュールストレミングなど比べ物にならない臭さである。嗅げばわかる。

そう、つまりコンセントから発火したなら、それより臭いもので臭いを上書きすればいいのである。
大声を出してかき消すナリ、という発想も実はこれに由来する。

また、臭豆腐は臭すぎて投げられないし、固形なので溢せないため、かつての問題はものの見事に解消されている。もう妥協などしなくてもよいのだ。
そしてこの臭豆腐の素晴らしさは、グローバル化が進んだ今、世界的に認められている。





このように、アメリカの大企業Amazonにもchoiceされるほどである。

ちなみに、
臭くなっては消臭とは言わないのでは?
と疑問に思うかもしれないが、安心して欲しい。元の臭いが消えてる時点で立派な消臭である。
香水で臭いを撒き散らす女性を思い浮かべれば理解は容易だろうか。
そろそろ充電が100%になりそうなので、まとめに入りたい。今回のポイントは大きく4つにまとめられそうだ。





まとめ
1.セラミックヒーターは部屋全体が暖まらない
2.電子レンジにアメリカのグミを入れてはいけない
3.HDDはヴンブンシェイクすると壊れる